先日、リアス・アーク美術館で「東日本大震災の記録と津波の災害史」の展示見てきました。
展示は震災直後の写真がメインです。
現在、復旧は進んでいないと紹介されていましたが、知ることは大事と感じました。
せっかく近くまできていますので、迷惑にならない程度で、可能な範囲の震災遺構を見学してまわることにしました。
南三陸町防災庁舎
南三陸町の震災遺構は「南三陸町防災庁舎」です。
wikipediaでは次のように紹介されています。
本庁舎では津波来襲の15時25分頃まで、防災無線放送で繰り返し住民に避難を62回に渡り呼びかけ続けた。本庁舎から発信された約30分間の防災無線の放送音声は全て録音されている。
危機管理課の女性職員は繰り返し避難を呼びかけ続けたが、波の高さについては「最大で6メートル」という放送が続き、最後の4回のみ「10メートル」と放送した。
音声は、放送を続けようとする女性職員の声を遮るように「上へ上がって 未希ちゃん(女性職員の名前) 上がって」という周囲の制止の声を最後に放送が途切れている。
この女性職員は津波に飲まれ殉職した。
最期まで防災無線で避難を呼びかけ続けて犠牲になった女性職員の行動は、「多くの命を救った命懸けのアナウンス」と大きく評価され、埼玉県の公立学校で2012年の4月から使われる道徳の教材に掲載された。
(wikipediaより)
当時130人が勤務していたが53人が屋上へ避難したが、屋上の2m上まで浸水したため、生還できたのは10名らしいです。
防災庁舎なのに凄まじい状況だったのでしょうね…。
現在では、南三陸町防災庁舎の横に南三陸町さんさん商店街が作られておりました。
ここには世界で二体しか存在していない目の入った本物のモアイ像がいます(参考)。
なんでも、チリ地震が発生したときここ南三陸町で津波被害があったとのこと。
そのころから南三陸町とチリが友好を結んできており、東日本大震災後に門外不出の本物のモアイ像がイースター島からやってきたとのこと。
さんさん商店街は広くて活気がありました!
時間が早かったのか、食堂は開いてなかったので、露店でタコの唐揚げを買って食べました。
名産らしく、とても美味しかったです♪
奇跡の一本松とユースホステル
岩手県陸前高田市にある震災遺構は『奇跡の一本松』『ユースホステル』『道の駅』『気仙中学校』など。
まずは奇跡の一本松に行きました。
約七万本の中から一本だけ残ったらしいです。
一本松とユースホステルは一緒に見ることができました。
奇跡の一本松も塩水で朽ちてしまい、現在の松はモニュメントとして残っているだけとのこと。
すぐ横の水溜まりには、木々の根っこだけが残っていたのが、物悲しい雰囲気でした。
近くに水門を建設していたりしますが、この辺は公園となるようです。
このモニュメントのまわりはかろうじて整備されていますが、まだまだ整備されるまでには時間がかかりそうです。
気仙中学校
奇跡の一本松横を流れる川の反対側にあるのがこの気仙中学校。
本当に海・川の近くに建ってます。
昔のチリ地震の際に横の川底が見えた後、津波が来たことを地元の方に聞いた校長。
その際、中学校の屋上では避難にならないことを確認済みだったらしい。
東日本大震災の際も川底が見えたのを確認して、すぐに近くの高台へ全員避難して被害者はでなかったらしいです。
元々は近くの駐車場が避難場所だったようですが、校長や教員の判断で、すべての子供達が助かったらしいです。
建物の三階まですべて窓もなく、実際に屋上まで津波で水没してしまったそうです。
痛々しい建物になってしまったけど、被害者が出なくてよかったと感じました。
大川小学校
多くの犠牲者が出てしまった大川小学校。
現地に来てみるとすぐ近くに川が流れていることがわかります。
校舎や体育館(一部)や渡り廊下など、天井まで被害の状況がわかるような状態で残されていました。
災害前の写真を見ましたが、学校のまわりは住宅街だったようです。
でも、今はこの大川小学校以外は何もなくなっており、のどかな草むらが続いておりました。
体育館へ向かう渡り廊下も、押し倒されてしまった状態のまま残されていました。
体育館の裏手は山になっています。
障害物がなくなってしまった今なら、歩いても数分。走ったら数十秒で辿り着けそうな距離感です。
山の傾斜は急ですが、登れないほどではありません。
実際は椎茸栽培を体験学習していたり、学校でも馴染みのある場所のようです。
地震発生後、校庭に避難し点呼確認。そのあと50分ほど校庭で待機し、地震発生51分後に津波が来た際に慌てて向かったのが、マニュアル通りの川の横…。
すぐ横にマニュアルに書かれてないが地震があったら山へ逃げろと家族から口伝えされてきた山があるのに…。
はじめ山に逃げた子供も先生に怒られ、泣きながら校庭に戻され…。
現地に長く住む家族や祖先の伝承を信じようとした子供達…。
責任逃れのため(?)、新たに作られたマニュアル通りに行動しようとした大人…。
なんか本当に悲しくなりますね…。
最後に松島に寄ってみました
近くの島に渡る赤い橋を渡ってみました。
この島は少し大きいので、松以外の木も生えています。
島に渡って道を歩いていくと展望台的な場所が点在しています。
小さな島が点在していて、風光明媚ってやつですね♪
道をそれると砂浜に降りることもできます。
すごい大きなミルフィーユ♪
潮溜まりにはカニさんとかいましたよ♪
最後はただの観光になってしまいましたが、とても多くのものを感じた一日でした。
色々と考えさせられました
先日のリアス・アーク美術館で見た震災の展示に始まり、実際の震災遺構まで、駆け足でしたが色々と見て回ることができました。
現地を車で走っていると土が盛られている箇所がたくさんありました。
お盆時期だったからかもしれませんが、稼働していない重機も多く、まだまだ復旧まで時間がかかるのかな?って感じました。
復興も大事だがまずは復旧!
「復興とは元に戻った後により一層盛り上がっていくこと。まだ復旧は終わっていない。復興が遅れてるとか言うな!」と美術館でもコメントされていました。
現地で、海産物食べたり、お土産買ったりする行為は復興に当たると思います。
が、現地を見て回ると復興も大事だがまずは復旧が先なんだろうなぁ…って本当に感じます。
必要なスキル
川のすぐ横の学校でも、対応次第で生徒が助かった学校とそうでない学校があったり、とても複雑な気分です。
今回様々な形で過去の震災について少しだけ触れさせてもらいました。
津波は自然現象。過去にも何度も発生しており、未曾有なものではないのです。
その時の経験を「古い知識」や「物語」として扱うのではなく、過去の重要な知識・経験だと認識し、有事の際に正しい判断ができるようなスキルとして活用できなければならないと思う。
時にはマニュアルを破ってでも、その場・その時の正しいと思う行動が取れるか…。
自問自答しちゃいます。
きっと、いきなりだと難しいのだと感じます。
日頃から妄想し、様々なケースでシミュレーションする事がイザというときに役に立つのかもしれません。
子供の頃、私は川の多い所で過ごしました。その地域も昔は洪水も多く発生していたと習った気がします。
こういった事実は歴史として地域を知ることとして、必要だと思います。
今この時に同じことが発生したら、どう行動すべきか?その結果、どうなったのか?等、年に一回程度学校の授業などでシミュレーションする機会を作っても良いのかもしれませんね。
決まった形の訓練ではなく、臨機応変に考え行動してみるという経験も大事かと…。
最善と考え行動してみると次の問題に直面したり、他の最善策が思いついたりするかもしれません。
過去の経験を今後にどう活かすのか!を主眼にした学習機会は、大人も子供も必要スキルとして得る必要があり、そういった機会があると良いのかなぁ…って思います。
被災者の方達のなかには、このような震災遺構が身近にあると、色々な事を思い出したり、辛い気持ちが甦ってきたりして、嫌な思いをされている方も多いと思います。
もし遺構として残すと判断されたのなら、悲しい・辛いだけでなく、今後有効に活用されていければ良いなぁと思います。
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